ヴァイオリンを弾き続けるメンタル 後編

こんにちは。
杉並区 荻窪 下井草 杉並の森ヴァイオリン教室です。
梅雨に入りました。御身体も楽器もお気を付け下さい。

さて、前回の続きです。
ヴァイオリンを始めて長い時間が経ちました。
何を原動力に頑張るでしょうか?
昔にどこかの記事で「人はプラスがあるかマイナスがあるかしないと努力を続ける事は困難だ」と読んだ記憶があります。
マイナスというと・・・各々の先生のご方針なので是非のお話は致しませんが「昭和式スパルタ」が浮かびます。弾けないと腕をひっぱたくというのがあったとか無かったとか・・・・。先生が怖いから頑張るという状態ですね。ちなみに私はその様に指導された事はありません。し、その様に指導させて頂いた事もありません。
プラスはというと先生に褒められるとかコンクールで入賞出来るとか自分の思った通りの演奏が出来るとか憧れの曲が弾けたとか誰それのように弾けた等となります。(プラスの方が沢山出てきますね。)
ここでは「プラス」の方に焦点を当ててみましょう。
もしかしたらお気づきの方もいらっしゃると思いますが、「取り敢えず」で5点程上に挙げましたが違いがあります。「先生に褒められる、コンクールで入賞出来る」と「自分の思った通りの演奏が出来る、憧れの曲が弾けた、誰それのように弾けた」です。
前者は自分ではない他人のから視点が基準になっていて、後者は自分の視点になっています。
最近はネットで悪いニュアンスとして「承認欲求」という言葉が使われています。全く無い人はいないでしょうし少しであれば寧ろ必要だとも思います。ですがそれ・・・他者から認められる事が・・・原動力の大部分を長く占めるのは健康的ではありません。「先生に、お母さんに、お父さんに褒められたい」と思うのは信頼と好意があっての事でしょうし「コンクール入賞」というのも第三者から「努力を認められた」という証なので時に必要ですし、悪い事ではありません。
ただ自分の心の在り様を他人からの評価に依ってしまうと、ずっと人の目を気にする事になります。それはとてもしんどい事です。
「自分と音楽」。この状態が一番自然で好ましいと思います。
ではそうなるにはどうすれば良いのでしょうか?
「憧れられる物が沢山有るようにする」事ではないかと私は思います。
沢山音楽を聴く・・・・「こんな風に弾きたい!」「こんな音が出せるようになりたい!」の原動力となります。コンサートに行く・・・・・「こんな場で自分も演奏したい!」の原動力となりますし、その場で生の楽器の音が空気を振動させて自分に届くという経験は何物にも替えられません。勿論コンサートのテレビ放送や配信を見る事も良いですし、伝記などの本を読んでみる事も良いでしょう。

上記の考えをする一方で「0か100か」という考え方は時に危険だと常に思っています。
ので「○○ちゃんに勝ちたい!」「コンクールで入賞したい!」「お母さんに認められたい」という考え方を否定はしません。寧ろ必要な時もあると思います。ただくれぐれもこれが「大部分」や「長期的」にならないようにする事をご提案します。

杉並の森ヴァイオリン教室 日俣綾子



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